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ティル・リンデマン Till Lindemann 1963年1月4日ライプツィヒ生まれ

学歴・職歴・音楽歴

1.水泳選手 1978年15歳の時欧州ユース選手権1500mで7位

2.籠職人

3.First Arscheのドラマー・ヴォーカル

4.Rammstein

5.Lindemann、Rammstein と並行して活動

1980年のモスクワオリンピック代表に選ばれるが、フィレンツェ(若しくはローマ)での合宿で無断でホテルを抜け出し、西ドイツ選手団のバスの中で「階級の敵」なステッカーをもらったことで、代表から外れる、その後怪我のため引退。

家族

父はヴェルナー・リンデマン(1926-1993)は東ドイツの著名な児童文学者、母はジャーナリストのブリギッテ・リンデマン、6歳年下の妹1人。

1.1985年 長女Nele誕生、母は最初の妻、彼女はのちにクルスペとの娘を設ける。

2.1993年 次女Marie Louise誕生、母はAnja Koeslingで数年で別れたらしい。

3.2008年 長女Nele の息子誕生

4.2011-2015年 モデルのSophia Thomalla(1989-)と恋愛関係 

 

リヒャルト・ツベン・クルスペRichard Zven Kruspe 1967年6月24日 ヴィッテンベルゲで本名スベン・クルスペSven Kruspeとして誕生。

学歴・職歴・音楽歴

1.レスリング選手

2.料理人の勉強

3.Das elegante Chaos

4.Das Auge Gottes

5.Die Firma

6.First Arsch

7.Orgasm Death Gimmick

8.Rammstein

9.Emigrate、 Rammsteinと並行

16歳の時に友達と一緒に当時のチェコスロバキアに行きギターを買った、当初転売して儲けるつもりだったが、ミュージシャンはモテると知り、自分で使うことにした。ギターについてはベルリンの壁崩壊直後のフランクフルトの音楽見本市で、日本のイーエスピーのギターと出会い、現在も使っている。

東ドイツ時代、無許可でライブをやっていて金を稼いでいたので当局に摘発され、シュタージ(秘密警察)の非公式協力者になれば許してやると言われ、考える時間を与えられ口外しないよう言われるが、あえて友達にばらしまくる。この時はそれ以上のことはなかったようだが、ベルリンの壁崩壊の直前、偶然反政府デモに参加して逮捕され、尋問され、殴られた。そのため亡命を決意し、チェコスロバキア、ハンガリー、オーストリア経由で西ベルリンにたどり着くが、その直後に壁が崩壊し、旧東ドイツに戻った。

家族

子供時代は幸せだったが、両親の離婚後継父とうまくいかず家出を繰り返す。兄弟姉妹何人かあり。

1.1991年長女Khira Li Lindemann誕生、母はリンデマンの元妻

2.1992年長男Merlin Besson(現在俳優)誕生、母はタチアナ・ベッソン(1961-)東ドイツ出身のミュージシャン。

3.1999-2004年南アフリカ人モデルのCaron Bernstein(1970年8月16日-)と結婚、彼女と婚姻中は彼もRichard Zven Kruspe Bernsteinと名乗っていた。

4.2011年次女誕生、母はアメリカ人のMargaux Bossieuxでエミグレートのバックコーラスを務める。

 

 

パウル・ランダース Paul Landers 1964年12月9日東ベルリンで本名ハイコ・パウル・ヒールシェHeiko Paul Hierscheとして誕生。

学歴・職歴・音楽歴

1.8歳の時から1年間両親の仕事の関係でモスクワに滞在。

2.13歳からピアノ、クラリネット、ギターを習い始める。

3.無線・通信技師の学校に通う、ここでシュナイダーと知り合うが当初は面識があるだけだった。

4.フリードリヒスハインの音楽学校でダンスミュージック部門のエレキギターを学ぶが暇なときにドラムも叩いた。

5.東ドイツでは勤労の義務があったので、半日だけ図書館のボイラーマンとして勤務。

6.FeelingB

7.Die Firma、FeelingBと並行

8.First Arsch、FeelingBと並行

9.Die  Magdalene Keibel Combo、FeelingBと並行

10.Rammstein

1987年10月に西ドイツの左翼バンド「Element of Crime」を招いて東ベルリンでコンサートをしたところ、東西の極右グループに襲撃され、そのことで秘密警察(シュタージ)から繰り返し取り調べと非公式協力者への勧誘を受ける。それに対し「Magdalene Keibel Combo」を結成する。シュタージの本部がMagdalene通りにあり、捜査監房がKeibel 通りにあったのでこの名をつけた。このバンドは現在は活動していないが、今でも解散はしていない。彼の元主要バンドFeelingBのリーダーだったアリョーシャ・ロンぺが亡くなったときの追悼コンサートではこのバンド名で演奏した。

家族

父Anton(スラブ学者)はチェコから、母Erikaはポーランドから第二次世界大戦後東ドイツに移住、3歳年上の姉一人。

1.20-22歳時、Nikki Landers(当時18歳)と結婚、以来妻の姓を名乗る。

2.1990年6月20日長男Emil Reinke(現在俳優)誕生、母について記述なし、数年で別れたらしい。

3.2001年長女誕生、母はメークアップアーティストで90年代末からパートナー。

両親がつけた名はファーストネームが「ハイコ」でセカンドネームが「パウル」だが、後にひっくり返してファーストネームを「パウル」にした。「ハイコ」は後にセカンドネームからも捨ててしまったが、両親は今でも「ハイコ」と呼んでいるらしい。

たった2年で別れた最初の妻の姓をいまだに名乗り続けている理由は、本人曰く「ランダース」の方がロックスターとしてふさわしいかららしい。

 

 オリバー・リーデル  Oliver Riedel 1971年4月11日 シュヴェリーン生まれ

学歴・職歴・音楽歴

1.化粧漆喰職人の学校へ通う

2.前述の職人として働く

3.The Inchtabokatablesに女性ベーシストの産休の代わりに期間限定で加入。

4.Rammstein

 母がボブ・ディランのファンで音楽好きな環境で育った。

控え目でインタビューに答えることが少ない、飛行機嫌いでバスやキャンピングカーでの移動を好む。

趣味はアコースティックギター演奏とサーフィン

家族

妻はデザイナーでスタイリストのMarie Riedelで娘が一人いるらしい。

 

 クリストフ・シュナイダー Christoph Schneider 1966年5月11日東ベルリン生まれ。

学歴・職歴・音楽歴

1.両親からピアノを習う

2.音楽学校でトランペットを習う

3.地元のオーケストラでトランぺットを担当、引っ越しに伴い脱退。

4.ドラムを始める

5.1984年頃から学生バンドでドラムを担当

6.無線技師の学校に通う、ここでランダースと知り合うが当初は面識があるだけだった。

7.1984年より東ドイツ国家人民軍で兵役を務める。

8.1988年より様々なパンク・メタル系のバンドに所属

9.Die Firmaに加入

10.FeelingBにゲストドラマーとして加わる(1990-93)

11.Rammstein

綽名の「ドーム」は欧米などで人気の飛び道具で攻撃するコンピューターゲームソフトシリーズの名、彼やランダースが好んでプレイしたため。今ではこの綽名を嫌がっているようだ。

子供・青少年の芸能活動を支援する団体に属している。2018年1月よりドイツのドラムメーカーDWのエンドーザーになっている。趣味は読書。

家族

父はオペラ演出家で大学教授の、マルティン・シュナイダー(1938-)、両親は彼がドラムをやることに賛成ではなかったが、買ってくれた。2歳年下の妹コンスタンツェはデザイナーで時々ラムシュタインのステージ衣装を手掛ける。クリストフもおしゃれで高価な服を着ているようだ。ちなみにシュナイダーSchneiderとは英語のテーラーTailorと同じで洋服の仕立て屋という意味。

2014年に結婚して息子が3人いる、一番下の息子は2020年11月生まれ。

 

 クリスティアン・”フラーケ”・ロレンツ Christian "Flake" Lorenz 1966年11月16日東ベルリン生まれ。

学歴・職歴・音楽歴

1.学校時代は吃音でいじめられたが、チリ人の友人ができ、その友人はいまでもラムシュタインの制作アシスタントをしている。

2.プレンツラウアーベルクの音楽学校でピアノを習う、両親が中古のピアノを買ってくれる。

3.工業専門学校に通う。

4.工具作り工員の学校に通う。

5.リズムアンドブルースバンドHilflosに加入のちにTedeumと改名。

6.FeelingBの設立メンバーとして加入、並行して様々なバンドのゲスト奏者として演奏

7.Magdalene Keibel Combo , FeelingBと並行

8.壁崩壊からの混乱期、生活のために中古車販売やギャラリーの運営などをする。

9.Rammstein

ドクトル・クリスティアン・フラーケ・ロレンツと書かれていることもあるが、子供の頃なりたい職業の一つが医師であったので登録の時につけたまでで、医師の他にパイロットや消防士、発明家になりたかった時期もあるので現在はドクトルと呼んで欲しくないらしい。

綽名の「フラーケ」は西ドイツのZDFと日本のズイヨー映像が制作したアニメで、原作はスウェーデンの児童文学作家ルーネル・ヨンソンの「Wickie und die starken Männer(ヴィッキーと強い男たち、邦題:小さなバイキングビッケ)」の主人公のビッケがフラーケ族であることからつけたものである。

1981年、14歳の時兄が通っていたギムナジウム(中学・高校が一緒になったもの)でのロック音楽祭に出演する予定だったが、仲間が緊張のため演奏を降りてしまい、急遽そこにいた別のバンドのドラマーを説得して一緒に演奏してもらった。この時のドラマーがアレクサンダー・クリーニングで、後に加入するFeelingBのリーダーのアリョーシャ・ロンペに引き合わせてくれた人物であり、FeelingBの結成メンバーであった。しかしクリーニングは翌年脱退した。

ステージでいじめられ役をよくやっているが、本人曰く「ヘヴィメタルはキーボードの演奏パートが少ないので暇だから」ということらしい。飛行機恐怖症で、以前は手荷物に墜落した飛行機の残骸を入れていた、ただ荷物検査が面倒なので今はやめたらしい。

子供時代からウォーキングが趣味、そのため東ドイツ時代は亡命を疑われたこともあった。

家族

父はエンジニアで母はフンボルト大学で働きながら、ジャーナリズムの仕事をしていた。

3歳年上の兄ペーター・”アウゲ”・ロレンツもコミックカバーバンドをやっていた元ミュージシャンで、ラムシュタインの最初のコンサートで前座を務めた。現在は漫画家でFeelingBのジャケットの絵を担当したこともある。

父はジャズ、カントリー、ブルースの熱心なファンでレコードも持っていた、父のレコードを聴いたり、父がくれたカセットレコーダーで西側のラジオ音楽番組を録音して楽しんだ。

最初のピアノは中古で100東ドイツマルクで買ってもらったが、次に中古の有名メーカーのオルガンは2000東ドイツマルクで父親の給料の2.5か月分だった。

何人か子供がいるらしいが詳細は不明。

2008年よりアート芸術家のジェニー・ローゼマイヤーJenny Rosemeyer(1974-)と結婚している。彼女は東ドイツ最初の首相オットー・グロテヴォールOtto Grotewohl(1894-1964)のひ孫である。但し東ドイツでは首相は最高権力者ではない。

 

 ラムシュタインメンバーがほかに属した主なバンド

First Arsch(棟の基部?):パンクバンド、1986年結成、リンデマンが結成メンバーとして1994年までヴォーカルとドラムを担当、クルスペとランダースが所属していたこともある。1994年のラムシュタイン結成に伴って3人は脱退したが、結成メンバーのイエルク(スティーブ)・ミールケと新加入メンバーらにより現在も活動している。

Die Firma(会社・仲間):1983年結成1993年解散、ランダース(1986-91)、シュナイダー、クルスペ(1992-93)が所属していた。

FeelingB(ベルリンの感情):1983年結成2000年解散、ランダース、ロレンツが結成メンバーとして活動し、ゲストドラマーとして1990-93年にはシュナイダーも参加していた。1994年のラムシュタイン結成に伴い3人が脱退したが、リーダーのアリョーシャ・ロンペが新加入メンバーと活動を続けた。2000年のロンペの死により解散。

Magdalene Keibel  Combo:1987年、ランダースが秘密警察からしつこく取り調べと非公式協力者への勧誘を受けていたことから結成、秘密警察の本部がマグダレーネ通りにあり、捜査監房がカイベル通りにあった。ロレンツが加入。現在活動休止中だが解散していない。

The Inchtabokatables:1991年結成2002年活動休止、リーデルが女性ベーシストの産休に伴って加入し、1994年ラムシュタイン結成のため脱退。

Emigrate(移住・亡命):2005年結成、クルスペがリーダーでヴォーカルとギターを務める。

Lindemann:2015年結成、リンデマンがヴォーカルで、その他の楽器パートをスウェーデンのミュージシャンのピーター・テクレンが務める。